小樽
花園町
北の古き港町に開かれた歓楽街と色街跡

北海道
小樽市
花園1,2,3,4
稲穂1,2
信香町
住吉町
梅ヶ枝町




交通
函館本線
小樽駅下車
南小樽駅下車
徒歩






花園・稲穂


信香町


住吉町


梅ヶ枝町




2008.02.21
小樽はオタルナイという漁港から始まり、明治14年、幌内炭山、札幌、手宮を結ぶ鉄道が開通し、近代港湾都市として発展する。街の中心は、漁場として開けた現在の街の最南端にあたる勝納川河口地区が最初で、石炭の積出し港としての発展とともに北部の手宮方向に移動していった。手宮〜南小樽のちょうど中間にあたる色内地区には商店、銀行、裁判所、電信郵便局などが集中し、昭和初期に全盛期を迎えた往時をしのばせる町並みが残っている。。

遊里は町の発展とともに形成推移するもの。明治4年に勝納川河口に近い金雲町(こんどんちょう)に最初の正式な遊郭が開かれ、近くの新地町や入船町にも拡大していたという。金雲町は古い土蔵が文化財として残っているほか、新地町入船町にはかつて栄えた町の面影はあるものの旧遊里のそれはほとんどなく、妓楼かもしれない程度の建物はあった。新地は戦後赤線でもあった。一方、南小樽から北へ丘を下った住吉町は、小樽市内では色内町の次と言っていいほど近代建築が多く残っている。

明治14年の大火ののち、遊郭は南小樽西側の住之江町に移転、しかし明治24年の大火でまた移転となる。南小樽駅からずっと内陸に入った松ヶ枝遊郭と手宮駅の先の梅ヶ枝遊郭、いずれも市街地から外れた場所であった。『全国女性街ガイド』(昭和30年)によれば、赤線として「小樽で圧倒的に有名なのは、町はずれの手宮、手宮川を渡った右側には曖昧屋が100軒ほど密集している。」とある。

また『全国女性街ガイド』(昭和30年)では、「稲穂町から花園町へかけて置屋29軒、芸妓90名。宴会芸の華やかな妓はいないが、情は極めてこまやかである」とあり、現在小樽随一の歓楽街となっている同地区を紹介している。

花園町の一大飲食店街

左上の画像で右側の茶色い建物は、スナックが集合して入居している「うきよみらくセンター」

花園町の案内図。(下)
花園町を貫く商店街に建つ商店。煉瓦タイル貼りの建物と思われるが、通りから店舗、蔵、という小樽らしい構成。
JR函館本線ガード下(上)
右手は稲穂町、左手は花園町
稲穂町の嵐山新地
稲穂町の稲荷小路
小樽で最初に遊郭が開かれたという南小樽駅界隈。信香町の「小町湯」。
信香町の民家。
南小樽駅から北へ丘を上り下ると住吉町
色内町に準ずる近代建築の町並みが見られる。
住吉町の町並み
住吉町の町並み
明治後期に開かれたという手宮郊外の旧梅ヶ枝遊郭から余市方向へのびる商店街。
参考資料 リンク
小樽市

参考文献
『赤線跡を歩く 完結編』 木村聡 自由国民社